『やがて哀しき外国語』を読みました

 

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

 

 

以前、Twitter長門さんかだれかが言及していたときに買って、積んであった掲題の本を読みました。

 

村上春樹さんがプリンストン大学に2年半ほど滞在したときのエッセイ集です*1

だいたい1990年ころの話で、以下のようなことが語られています。

1つひとつのエピソードの中に、村上さんの人柄とか感性みたいなものが感じられて、

とてもよかったですね。私はあまり村上さんの小説やエッセイを読んでいる方ではないのですが、村上さんって一筋縄ではいかない人だなあと思いました。

 

たとえば、「ヒエラルキーの風景」の中に出てくる、早稲田大学の話を例にとります。

(っていうエッセイが収録されているのです)

 

村上さんは、ぜんぜん勉強せず、好きなことをやっていたけど、早稲田大学に入れたらしいです。そういうことをエッセイで書いたり、インタビューで言ったりすると、「勉強せずに早稲田大学に入れるわけないでしょう」とか「私は早稲田大学に不合格だったのに、そんな事言われると、傷ついた」という苦情がくるらしいです。

 

それに対して、村上さんは以下のように書いています。

そう 言わ れる と、 僕 と し ても また「 どうも すみません」 と 謝る しか ない わけ だ けれど、 正直 な ところ その 一方 で、 そんな こと を 今更 いちいち 気 にさ れ ても ねえ とも 思う。 だって 試験 なんて 向き 不向き も ある し、 運 も ある し、 成り行き も ある。 それに だいたい、 たかが 大学 の こと じゃ ない です か…… と いっ ても、 その「 たかが」 の こと で 嫌 な 思い を し て いる 人 も、 世の中 には きっと 多い の だろ う。 そう 思う と、 胸 が 痛ま ない でも ない。

村上春樹. やがて哀しき外国語 (講談社文庫) (Kindle の位置No.2692-2696). . Kindle 版.

 

ちょっと意地悪な読み方かもしれませんが、人の気持とか立場とかを思いやったりある程度理解を示しつつも、「自分はそう思うんだから、しょうがないじゃん」とか「実際そうだから仕方がない」という頑固さを私は感じました。

 

たしかに、この部分だけから頑固さを感じたっていうと、私の感覚が突っ走りすぎっていう感じがするのですが、私が読む限り、このエッセイ集でずーっとこんな感じなんですよね..... 「日本では○○で、たしかに△△という事情もあるのかもしれないけど、やっぱりいやだ」とか、「アメリカの○○は、△△という目的ではいいかもしれないけど、なんか合わない」とか。

 

言ってしまえば、<おじさん>っぽいと思いました。(すごく上から目線っぽい書き方で申し訳ないんですが)いろいろと経験を積んで、いろんな事情があることはわかっていながらも、自分の意見は変えな。同時に、角をたてないやり方についても知っていている、みたいな。

 

この<おじさん>というのは、全然なネガティブな意味ではないです。むしろ、バランス感覚があるので、ポジティブな意味です。なんとなく、私の中で<おじさん>といえば、こういうイメージがあるっていうだけです。この意味では、私はどんどん<おじさん>になって行かなければならないなあと思ってます。

 

余談ですけど、村上さんってもう70歳なんですね..... 前も同じことで驚いていた気がするけど、よくみる写真が若々しいので、50歳くらいなイメージがあります。

(実際の村上さんが若々しくないということではないですが。みたことないので)

*1:自分の仕事の延長で考えると、タイトルからどういう内容なのかが読み取りづらいので、あんまよくないタイトルだなと思ったのですが、これは私が仕事の延長で物を考えすぎ。