北千住でお酒をたくさん飲みました

北千住で友人たちと飲みました。

 

最初は2時間くらいカラオケに行きました。日本語ラップ回だったので、日本語ラップを何曲か歌いました。その後、イタリア料理屋で飲みました。

 

 

23時くらいからテキーラをショットで2杯くらい飲んだのもあって、ひさびさに飲みすぎて吐きそうになりましたね..... (お酒弱いです)まあ2件目からひたすら水を飲みまくったので、なんとか吐かずすみました。

 

私は翌日仕事だったので、午前2時くらいでタクシーで帰宅しましたが、他の人達は朝まで飲んでいたみたいです。

 

膝を痛めたので、筋トレしています

ジムではトレッドミルでランニングしかしていなかったけど、膝を痛めたので筋トレしています。

 

毎日朝一で行っているので、上半身・下半身を交代でやっています。

 

せっかくだから、タンパク質を取ろうと思って、ちょこちょこセブンのサラダチキンを食べているんですが、サラダチキンほんとおいしくないですね...... 

 

辛味噌仕立ては、サラダチキンの味が気にならないほど辛いけど、直で唐辛子が入っているので、この前食べたらちょっとお腹痛めた。

 

ファミマにも類似商品があって、悪くなさそうなので、いくつか試してみようと思っています。

小西 行郎『発達障害の子どもを理解する』を読みました

 

発達障害の子どもを理解する (集英社新書)

発達障害の子どもを理解する (集英社新書)

 

 

発達障害について、小児神経専門医の立場から論じた本。

 

以下のようなことについて述べられている。

 

(上から目線っぽい書き方になってしまいますが)次のような点からとてもよかったです。

  • (2011年の本なので、2020年現在だと古くなってしまっているが)具体的な研究結果が参照されているので、説明に説得力があった
  • 発達障害児支援の経験が豊富で、事例が多い
  • 親や障害児へ寄り添った論じ方をしている

繰り返し述べられているが、この本で何よりも伝えたいことは、発達障害児を理解することの大切さだろう。というのも、まず、発達障害は障害像があいまいで、発達障害児によって問題はそれぞれ異なっているからである。そして、発達障害児と向き合うためには、問題行動の意図や理由を理解することがきわめて重要だからである。

 

たとえば、発達障害児は褒めて育てればよいという見解について、著者は以下のようなコメントをしている。

ほめられたから自信がつき、叱られたから自尊感情が傷つく――発達障害の子どもはそれほど単純でも、弱い存在でもありません。そうではなく、彼らは「自分の行動の理由やその背後にある思いが理解されないまま叱責されつづけること」に傷ついているのです。 失敗をして、叱られても、それが納得のいくことなら自尊感情まで傷つくことはないかもしれません。でも「見る・聞く・感じる世界」がみんなと違っていて、望んで失敗したわけでもないのに、行動の一つひとつを非難され、叱責され、無視されれば、「自分であること」は永遠に認められないのだとあきらめ、自信を失っていくかもしれません。

西行郎. 発達障害の子どもを理解する (集英社新書) (Kindle の位置No.1715-1720). . Kindle 版.

 

また、発達障害児には運動障害が共通して見られるという報告が増えているらしい。それを踏まえて論じられている、著者の以下の仮説は、興味深かった。

「胎児期に生じる脳、運動、知覚の異常が、新生児期以降にコミュニケーションの障害を引き起こし、本格的な集団生活が始まる幼児期になって社会性の問題に発展する」 

西行郎. 発達障害の子どもを理解する (集英社新書) (Kindle の位置No.1036-1037). . Kindle 版.

ミシェル・ウェルベック『闘争領域の拡大』を読みました

 

闘争領域の拡大 (河出文庫)

闘争領域の拡大 (河出文庫)

 

 ウェルベックの最初の小説を読みました。

 

ストーリーは以下のような感じ。

  • 主人公はSIerに勤めていて、農務省にリリースした新システムについて、ユーザー向けの研修を行うことになる
  • ルーアンやラ・ロッシュ=シュル=ヨンなどのフランス各地に出張へ行く
  • ティスランという同僚が同行することになる
  • ティスランは醜い青年で、恋人を探すことに必死だが、報われない

小説のテーマは、セックスとかモテとか孤独とかだろう。モテない私としてもなかなか読んでいてつらかった。とくに、ルーアンで主人公とティスランがカフェに一杯やりに行くシーンが悲しい。

僕 は 思いきり 促す よう な 目 で ティスラン を 見る。 カフェ には 若い 男女 が ひしめきあっ て いる。 女 たち が 優雅 な 手つき で 髪 を 後ろ に かきあげる。 彼女 たち は 脚 を 組み、 笑い 出す チャンス を 待っ て いる。 要するに 彼女 たち は 楽しん で いる。 ナンパ する なら 今 だ。 今、 まさに この 時 だ。 この 場所 には すばらしく お膳立て が そろっ て いる。  

 

彼 は 手元 の グラス から 目 を 上げ、 メガネ の 向こう から 僕 を じっと 見る。 そして 僕 は 気がつく。 彼 には もう 気力 が ない。 無理 だ。 彼 には もう 挑戦 する 勇気 が ない。 もう 完全 に うんざり し て いる。 彼 は 僕 を 見つめる。 表情 が 少し 震え て いる。 おそらくは アルコール の せい だろ う。 食事 中 に ワイン を 飲み すぎ た の だ。 馬鹿 な 男 だ。 僕 は 彼 が 泣き 出す のでは ない か、 これ までの 辛い 人生 を 語り だす のでは ない かと 不安 に なる。 彼 は 今にも その 類 い の こと を 始め そう だ。

ミシェル・ウエルベック. 闘争領域の拡大 (河出文庫) (Kindle の位置No.763-771). 河出書房新社. Kindle 版.

 

『闘争領域の拡大』というタイトルもセックスについての闘争を意味している。自由恋愛が導入されることによって、セックスや愛についても競争が生じることになる。その結果、自由経済と同様に、セックスに富める者と貧しい者に二極化することになる。

自由経済の見解について、妥当性はよくわかりません)

 

これについては小説の中に明確に書いてあるので、わかりやすくていいですね。引用しておきます。

完全 に 自由 な 経済 システム に なる と、 何 割 かの 人間 は 大きな 富 を 蓄積 し、 何 割 かの 人間 は 失業 と 貧困 から 抜け出せ ない。 完全 に 自由 な セックス システム に なる と、 何 割 かの 人間 は 変化 に 富ん だ 刺激 的 な 性生活 を 送り、 何 割 かの 人間 は マスターベーション と 孤独 だけの 毎日 を 送る。 経済 の 自由化 とは、 すなわち 闘争 領域 が 拡大 する こと で ある。 それ は あらゆる 世代、 あらゆる 社会 階層 へと 拡大 し て いく。 同様 に、 セックス の 自由化 とは、 すなわち その 闘争 領域 が 拡大 する こと で ある。 それ は あらゆる 世代、 あらゆる 社会 階層 へと 拡大 し て いく。

ミシェル・ウエルベック. 闘争領域の拡大 (河出文庫) (Kindle の位置No.1241-1246). 河出書房新社. Kindle 版.

 

ラ・ロッシュ=シュル=ヨンで、主人公はある計画を試みるのだが、それについてはぜひ小説を読んでみてください。

 

ちなみに、ラ・ロッシュ=シュル=ヨンって、地名を聞いたことなかったけど、ナントとボルドーのあいだくらいみたいですね。ざっくり西の方。

 

https://www.google.com/maps/place/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9+%E3%80%9285000+%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%A5%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%83%A8%E3%83%B3/@46.660739,-3.5169754,7z/data=!4m5!3m4!1s0x48042f866dcec62b:0x40d37521e09b270!8m2!3d46.670511!4d-1.426442

 

原著は1994年に出版された本で、26年も前なので、いろいろと時代を感じます。通貨がフランだし。新しいシステムもパスカル(というプログラミング言語)で実装されているみたいです。(よくわからないんですが、昔はパスカルシステム開発もよくあったんですかね?)

『火花』を読みました

 

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)

 

 又吉さんが好きなので、前々から気になっていた『火花』を読みました。

 

又吉さんが好きになったきっかけは、キングちゃんという番組の「又吉プロデュース王」という企画です。かなりの無茶振りを全力でやりきっていたので、すごくかっこいいなと思いました。

又吉プロデュース王について、ネットニュースの記事がありましたので、知らない方は読んでみると雰囲気がわかると思います。

https://www.excite.co.jp/news/article/E1477237193660/

 

『火花』の感想なのですが、お笑いに対する熱意とか、今まで一緒にがんばってきた先輩・後輩・同期芸人とかの思い出とか、もしくは、自分の芸に対する複雑な感情とかが感じ取れて、よかったですね。

 

おそらく実体験をもとにしたと思われるディティールもよかったです。神谷さんの優しい声に僕は弱い、とか。

 

盛り上がってくるのは、後半になるかなと思います。神谷とのケンカとか、最後の漫才のシーンとかですかね。

 

ただ、他の小説と比べると、話の構成や文章力には課題を感じました。

(上から目線ですいません)

 

産経新聞のインタビューにて、山田詠美さんが欠点も多々あると言っているのは、そういうことなんでしょうね。

「又吉くんの方は、どうしても書かざるを得ない切実なものが迫ってくる感じで、欠点も多々あるんですけど、何か強いものを感じて。それと、主人公とカリスマのような先輩との、まさに火花が散るような関係がよく書けていたということでした。1行1行にとてもコストがかかっている感じがした、という意見もありました」

引用元:https://www.sankei.com/life/news/150716/lif1507160058-n2.html

 

「わざとやっているのであれば、そういうのもありなのかも」と思いましたが、話の展開に唐突感があるケースがありましたし、もう少しきれいに語れそうな部分があるように感じました。

ブログを書く習慣をつけたい

Twitterやっていると、かけることを全部つぶやいてしまうので、ブログはぜんぜん書かなかったです。なので、今のうちにブログを書く習慣をつけたいですね。

 

Twitterとブログでは以下のような違いがある気がします。

 

Twitter

  • タイトルをつけなくともよい
  • 140字の制限がある

ブログ

  • タイトルをつける
  • わりと制限はない(ページをわけるとか、本格的な文書をつくろうとすると、大変だけど)

 

まあ使い方なので、そうじゃない使い方もできると思うのですが、Twitterはメモでも何でも書いていい場、ブログだと、ある程度、まとまりをつけて、誤字脱字とか文章もちゃんとさせなきゃいけない場というイメージがあります。

(私のブログの文章がちゃんとしているかというのは、気にしないでください!)

 

なので、私にとって、ブログの方がちょっとだけハードルが高いんですよね。それもあって、ブログをあまり書いてこなかった。でも、ある程度文章をまとめて書くという営みも面白いと思うので、せっかくだから習慣づけたいですね。

 

ところで、システムつくっている側からすると、タイトルある・なしという(ちょっとした?)デザインの違いで、使いやすいか使いやすくないかとか、どう使いたいかみたいなところに影響を与えるというのは、(あらためて)面白いですね。

『やがて哀しき外国語』を読みました

 

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

 

 

以前、Twitter長門さんかだれかが言及していたときに買って、積んであった掲題の本を読みました。

 

村上春樹さんがプリンストン大学に2年半ほど滞在したときのエッセイ集です*1

だいたい1990年ころの話で、以下のようなことが語られています。

1つひとつのエピソードの中に、村上さんの人柄とか感性みたいなものが感じられて、

とてもよかったですね。私はあまり村上さんの小説やエッセイを読んでいる方ではないのですが、村上さんって一筋縄ではいかない人だなあと思いました。

 

たとえば、「ヒエラルキーの風景」の中に出てくる、早稲田大学の話を例にとります。

(っていうエッセイが収録されているのです)

 

村上さんは、ぜんぜん勉強せず、好きなことをやっていたけど、早稲田大学に入れたらしいです。そういうことをエッセイで書いたり、インタビューで言ったりすると、「勉強せずに早稲田大学に入れるわけないでしょう」とか「私は早稲田大学に不合格だったのに、そんな事言われると、傷ついた」という苦情がくるらしいです。

 

それに対して、村上さんは以下のように書いています。

そう 言わ れる と、 僕 と し ても また「 どうも すみません」 と 謝る しか ない わけ だ けれど、 正直 な ところ その 一方 で、 そんな こと を 今更 いちいち 気 にさ れ ても ねえ とも 思う。 だって 試験 なんて 向き 不向き も ある し、 運 も ある し、 成り行き も ある。 それに だいたい、 たかが 大学 の こと じゃ ない です か…… と いっ ても、 その「 たかが」 の こと で 嫌 な 思い を し て いる 人 も、 世の中 には きっと 多い の だろ う。 そう 思う と、 胸 が 痛ま ない でも ない。

村上春樹. やがて哀しき外国語 (講談社文庫) (Kindle の位置No.2692-2696). . Kindle 版.

 

ちょっと意地悪な読み方かもしれませんが、人の気持とか立場とかを思いやったりある程度理解を示しつつも、「自分はそう思うんだから、しょうがないじゃん」とか「実際そうだから仕方がない」という頑固さを私は感じました。

 

たしかに、この部分だけから頑固さを感じたっていうと、私の感覚が突っ走りすぎっていう感じがするのですが、私が読む限り、このエッセイ集でずーっとこんな感じなんですよね..... 「日本では○○で、たしかに△△という事情もあるのかもしれないけど、やっぱりいやだ」とか、「アメリカの○○は、△△という目的ではいいかもしれないけど、なんか合わない」とか。

 

言ってしまえば、<おじさん>っぽいと思いました。(すごく上から目線っぽい書き方で申し訳ないんですが)いろいろと経験を積んで、いろんな事情があることはわかっていながらも、自分の意見は変えな。同時に、角をたてないやり方についても知っていている、みたいな。

 

この<おじさん>というのは、全然なネガティブな意味ではないです。むしろ、バランス感覚があるので、ポジティブな意味です。なんとなく、私の中で<おじさん>といえば、こういうイメージがあるっていうだけです。この意味では、私はどんどん<おじさん>になって行かなければならないなあと思ってます。

 

余談ですけど、村上さんってもう70歳なんですね..... 前も同じことで驚いていた気がするけど、よくみる写真が若々しいので、50歳くらいなイメージがあります。

(実際の村上さんが若々しくないということではないですが。みたことないので)

*1:自分の仕事の延長で考えると、タイトルからどういう内容なのかが読み取りづらいので、あんまよくないタイトルだなと思ったのですが、これは私が仕事の延長で物を考えすぎ。